シニアの幸せとは何かを考えさせられたある老人の悲痛な叫び

2019年7月29日

シニアの幸せ

「話し相手がいないんだよ!」

突然、斜め後ろあたりの席に座っいる高齢とおぼしき男性の半泣きの声が私の耳に飛び込んできました。

振り返ってその姿を確認した訳ではないけど明らかに老人の声、切羽詰まった感じが伝わってきました。

先ほどから後方で話し声が聞こえていましたが、私は本を読んでいたので耳に入れないように意識していました。

しかし、「話し相手がいないんだよ!」という悲痛な叫びに私は読書どころではなくなりました。

ご老人は最近グループホームに入居した様子で、そこでの寂しさを涙ながらに訴えているのです。

電話の相手は身近な親族らしく、ご老人の話を聞き入れて、なぐさめている様子です。

老人はグループホームでの寂しさに耐えかねて飛び出し、電話するためにこの喫茶店に来たようでした。

家族が老人の一人暮らしを心配してグループホームに入居させたのかもしれません。

「寂しい」、「楽しくない」、「職員はいつも一言多い」、他の客や店員を気にする余裕はなく、孤独であることを理解してほしい、何度もおなじ言葉が続く。

「どうしたら良いか全く分からない」と助けを求めている。

レジから近い席だったため、たびたびコーヒーを曳く音に話し声が掻き消されたが、自分が置かれている状況をこと細かく話している様子で、かなり長時間の通話だった。

可愛そうだと思いながらもどうすることも出来ない、近い将来の自分の姿かもしれないともしれないとも思いました。

昨年89歳で亡くなったお袋もグループホームに入居していました。

72歳の時に父と死別後、大分の田舎の住み慣れた大きな一軒家に気丈にも一人暮らしをしていましたが、健康面の不安もあってグループホームに入居してもらいました。

亡くなるまでの約3年間はグループホームでの生活でしたが、アルツハイマーを発症していました。

福岡に住んでいる兄と弟とその家族が頻繁に会いに行ってくれていました。

また、両親は若い時に洗礼を受けて以来クリスチャンだったこともあり毎日曜礼拝の後に教会の兄弟姉妹がグループホームを訪れてくれていました。

私はお袋の悲痛な声を聞いたことはなかったが、ここにいる老人と同じように寂しい思いをしていたかもしれないと辛い気持ちになりました。

政府は人生100年時代構想会議を設置したが、100歳まで生きて本当に幸せなのだろうかと思います。

 「シニアの幸せ」とは一体何だろと考えさせられた経験でした。

シニアの幸せ「健康」

私の望みは、自身の健康もさることながら周囲の人が健康であってほしいと思います。

特に子どもの健康には幸せを感じます。

子どもには健康であってほしい、特別な事など期待していません。

次に奥方の健康、そして私たち夫婦の兄弟姉妹が健康であってほしいと思います。

そして、友人、知人に対しても同じ気持ちになります。

自身も健康であれば、自由に外出できるし旅行にも出かけることができます。

なんといっても人のお世話にならず、自立した生活を送ることができます。

しかし、自分も含めシニアになれば健康状態は変化しやすい、皆がいつまでも健康であり続けることなどあり得ないのです。

今、周囲の人が皆健康であること自体奇跡かもしれません。  

シニアの幸せ「友人がいる」

自分の悩みなどを相談できる友人や知人がいれば幸せです。

しかし、高齢になれば友人に先立たれる可能性もあります。

この老人もSNSで誰かとつながっていれば少しは孤独を解消できるかもしれないとも思いました。

いや、老人は生身のコミュニケーション、触れ合いを求めていると思いました

この老人が良き介護者や話ができる同居人に出会えることを祈らずにはいられませんでした。  

シニアの幸せ「美味しい」

食べ物を美味しく食べられるのは幸せなことです。

美味しく感じるのは健康ともリンクしますが、最近は食べる量は少なくなったけど、少しの量の食べ物を美味しく頂けることに幸せを感じます。

夕食には必ず日本酒を頂くのが習慣になっていますが、お酒を旨いと思わなくなったら、やはり寂しいと思います。

また、ケーキやチョコレートなどの甘い物も好きなので、美味しく感じられなくなると気持ちが落ち込む。

シニアのしあわせ「笑顔」

人間関係が良好であれば、そこには思いやりがあり、お互いに笑顔が絶えず幸せな気持ちになります。

身近な家族の笑顔、社会で触れ合う人たちとのお互いの笑顔、笑顔は心温まり明るい気持ちになり元気の源でもあります。

周囲の人が困っていたら、自分の経験や知識をもとにサポートすることができたら、感謝の笑顔に触れ幸せな気持ちになります。

ここにいる寂しい老人に話しかけ、何か手助けできないかとも考えたが、悩みの質が重たく私にはハードルが高すぎました。 

周囲の人の笑顔が消えたら、気持ちも沈んで暗い日々を過ごすことになると思います。

長生きすることが本当に幸せなのだろうか

幸せの感じ方には大いに個人差があります。

シニアには、幸せとは対極にあるこれからの不安を考えるときりがありません。

シニアにとって、これからは確実に親しい人との別れが多くなります。

自分が先に逝くことも含めて、もし、自分が残された者となった場合、現状を受け入れて安らかに生きていけるだろうか不安になります。

この老人の様に寂しさの極地に置かれたら、冷静でいられるだろうかと考えてしまいます。

今後、更に高齢化が進み、この老人のような境遇の人が間違いなく増えるでしょう。

高々1世紀余りで人の寿命が2倍に、医療の発達によって長寿を勝ち取ったはずだが、果たして長生きすることに本当の価値があるのだろうかと思います。

余りにも短期間に長寿を手に入れてしまったがために、人は老後の健康維持や孤独を解消する手段をまだ持っていません。

話は一気に飛躍しますが、ips細胞やAIがどんどん進化し、近い将来老化を止めることに成功し、また家族や友人のコピーロボットが誕生したら、孤独を感じずに生きられる時代が来るかもしれません。

しかし世の中にコピーロボットがあふれたらと想像するとゾッとします。

人は毎日些細な喜びがあれば生きていけるのだと思います。

生きていて大きな喜びなんて続くはずもなく、苦痛も多い、でも些細な喜びの数が多いほど幸せなはずです。

例えば、私の些細な喜びの一つは、朝気持ち良く目覚めて、いつものように気持ち良く「おはよう」の挨拶を交わせて、今日やりたいことが浮かんでくることです。

あの老人もこんな些細な喜びで満足するはずだと思いましたが、老人の立場からするとこれは些細な事ではなく、なかなか手に入らない事なのです、やはり独りは寂しいのです。