急伸する平均寿命に認知症や寝たきりへの不安を抱く新シニア

2019年8月4日

アイキャッチ画像

私の生まれ故郷は、九州大分県の県央山間部に位置する玖珠という地名の田舎町です。

猛暑で知られている日田市の近くです。

玖珠町は、日田と同様に盆地で、「日本昔ばなし」に出てきそうな山々が周囲を形成しています。

物心が付くころから、毎日友達仲間と野山を駆け巡り、秘密のすみかを作り、また川で魚を取って遊び、自然な環境と周囲の優しい大人に育てられました。

正月やお盆には遠くの親戚が我が家に集まって、その間は大所帯となって賑やかな日々、男女を問わず、従兄妹とは屈託がなく仲良く遊んだものです。

そして親戚が帰ってしまうと、家は静まり返り、文字通り心も空虚になっていた事を今でも時々思い出します。

私は男ばかりの3人兄弟の真ん中、両親は共働き、祖母に育てられましたが、おおよそ近所のどの家も子どもは祖父母が面倒を見て親は仕事をしていました。

昔は50代でもお爺さん、お婆さん

当時は3世代、4世代の家族が同居していた時代であり、曽祖父母や祖父母を家族が最後まで世話をして看取り、葬儀は親戚や近所の住民が協力して執り行う素晴らしい風習がありました。

現在も一部残っていると思います。

当時の私の低い目線で見た周囲の大人は、50代といえどもかなりの高齢者だったように記憶しています。

現在、還暦を超えた自分の方が遥かに若いと感じるのは錯覚であろうかと思いました。

1世紀で寿命が2倍に

実際のところをネットで調べてみました。

私が生まれた1956年、昭和31年の平均寿命は、男性63歳、女性67歳、当時からすれば現在63歳の私は、平均寿命を全うする年齢なのです。

現在の平均寿命と比較すると20年も短いことになります。

逆に言えば、60年余りの間に平均寿命が20年も伸びたことになります。

とすると、当時は50歳を超えればお爺さん、お婆さんであってもおかしくない、私の記憶は錯覚でも、間違いでもなかったようです。

更に調べると1947年、昭和22年の平均寿命は、男性50歳、女性54歳です。

現在の平均寿命と比較すると30年以上も短い。現在の50代はまだ働き盛りです。

平均寿命100歳が視野に入った今日、高々1世紀、100年で人間の平均寿命が2倍になる計算です。

 平均寿命が急上昇している背景には、医療介護の発展進歩による疫病の減少や延命措置、食事などの栄養面の向上だと考えられます。

しかし、マイナス要因もあると思うのは、例えば24時間社会になってしまったために起こる不規則な生活習慣やスピード重視社会、人間関係におけるストレスの増大による心身の病などです。

小さいころから、社会は様変わりしてしまったことを実感しています。

良い意味でも悪い意味でもです。

認知症や寝たきりにならない努力

まず、周囲との関係が疎遠になったと思います。

新シニアの定義に入った自分が、これから先何歳まで生きるか知る由もありませんが、今後どの様な生き方、死に方をするのか不安になることがあります。

新シニア:シニアへの準備段階である50~64歳、

今シニア:65歳以上の現役シニア、

もし、突然、認知症や寝たきりになったとしたら、独立した子どもに面倒を見てもらうつもりはありません。

冗談で、認知症になった方が勝ちなどと言う無責任な輩もいますが。

しかし、認知症になって物事を判断できなくなった自分は罪悪感を感じないかもしれないが、妻をはじめとして周囲に多大な迷惑をかけることになります。

この状態は何としても避けなければならないと強く思います。

今の自分に出来ることは、不安を抱えながらも、認知症にならない様に新たな刺激を求めて行動し、また、寝たきりならないように日々、運動を心がけることくらいです。

血圧と血糖値の管理も重要

そして、血圧と血糖値が高くならない様に自己管理することが大切です。

何れも、度を超えて数値が高くなると、脳梗塞や心筋梗塞のリスクが相当に高まることが分かっています。

どちらの疾患も血管病として死因の上位を占めています。

心筋梗塞でポックリ亡くなればまだ良い、しかし脳梗塞は体が不自由になって寝たきりになる可能性もあります。

だから、高血圧と高血糖には要注意。

先の事は、悩んでも答えが得られないと自分に言い聞かせながら、日々出来る事に積極的に取り組み、生き生きとそして楽しく生きていくことしかできません。

まとめ

人生100年時代が目前になってきました。

単に長生きをすれば良いわけではありません。

後から来る後輩たちのお荷物になってはいけないと思います。

認知症になれば迷惑をかけていること自体分からなくなるので、なんとも怖いことです。

新シニアの自分にいつも言い聞かせているのは「認知症や寝たきりにならないように日々努力せよ」と。

幸爺でした。